【求めずに与える。最後の日に知った、旅の極意。】- インド
2013.07.08 Monday
インドからドバイまでの飛行機が、AM3時発ってどういうことですかさちこですこんばんはー!インドで出来た友達が別れ際に「この時間に行くと空港で15時間待つことになるけど本当に行くのか」と言われた意味が分かりました。実際空港の椅子は固くて辛かったです。みんなはもっと当たり前の時間に乗ろうね!
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今日でインドを去る、というときに、
出来過ぎだと思うけれど、
自分を省みるきっかけをくれる、
小さな出来事が起こった。
自分が相手のために行動したら、次は相手が自分に優しくしてくれた。
その相手が、嫌いだったはずのインド人だった。
たったそれだけ。
だけど、相手が変わったことが、嬉しかった。
インドに来て、自分から
人に何かを与えたことがあっただろうか。
笑顔での挨拶、握手を求めること、
笑わせるようなジョーク。
インド以外では、考えずともやっていたことを。
インドが嫌いだと、来る前から思っていた。
きっかけを細かく言うと、
インドで起こった、女性への暴力事件がきっかけだった。
その背景にある、ヒンドゥー教の宗教観と、
カースト制から生まれた人種差別の風潮。
実際の人々を知らずして、インドに対して
「理解できない」
と判断をしていた。
そして今回のインド滞在は、
「インドは理解できない、ということの確認」
ばかりをしていた。
わたしたちが接するのは、他の国と同じく
宿やレストラン、土産物屋やドライバーという
接客業の人ばかりである。
他の国と比べて敢えて違いをあげるとすれば、
お金、お金とうるさい、ということ。
こちらへ近寄り話しかける第一声が
「それいくらで買ったの?」
だったり、
「お金をくれ、ペンをくれ」
だったりする。
それは本当に嫌だった。
インド人につけ込まれることを拒み、
全然、心を開かずにいた。
それが人を寄せ付けない原因であるのは、
初日から分かっていた。
分かっているようで実際に芯から理解できたのは、
滞在して10日を過ぎる頃だった。
わたしと真逆に、インドが好きで、
インドだけでなく、人が大好きな女性に出会った。
彼女は、人に与えることが好きだった。
与えると言っても、物乞いにお金をあげることではない。
自分に出来ることがあれば自分から動き、
人が近づけば手を伸ばし、握手をし、名前を聞く。
そして子供の物売りには「これを買う代わりに学校へ行きなさい」
と言うのだ。
数日、行動を共にし、
彼女の行動力、包容力に驚いた。
例えば欧米人旅行者がただ大勢で集まっているような中にも、
タバコやアルコール好きな、距離を置きたいような旅人もいる。
その人に対しても、決して線を引かず、輪に入れる。
誰かの生き方を批判するような行動は一切しない。
ただ、見極める。見極めて、
距離をきちんと保って接する。
一度、彼女が手持ちの糸でミサンガを編んでいるのを見た。
知り合ったインドの女性へのプレゼントだと思われた。
そしてわたしたちにとってのインド最終日前日、
彼女は同じように糸を選んで、
さよならの時に、出来上がったそれを左手に結んでくれた。
彼女の、与える姿勢はなんだろう。
見返りを求めていないように見えるが、
彼女が誰かに心を開くと、その誰かが
みるみる、態度を柔らかくする。
ツーリストへの接し方と思えないくらい
近づいて来た人が親切になる。
例えばお金にうるさいリクシャドライバーが、
家の庭で取れたパパイヤを、宿まで届けてくれたりする。
警察官だった彼女から見習うべきことは、
人を見極めるすべかと思って、尋ねた。
スペイン人の彼女と英語でやり取りをするので、
100%彼女が言うことを理解できてはいない。
「目を見ること。構えすぎないこと。断る時はノーときっぱり言うこと。」
どこかで聞いたことがあるようなことなのに、
わたしは未だに実行できていない。
そして、彼女が言うと、それがどれだけ大変なことで、
重要なことか、言葉が自分の中に入った後で
熱を持つような、実感があった。
目を見ること。
先入観や思い込みでなく、相手をちゃんと見て、判断すること。
構えすぎないこと。
肩に力が入るとろくなことがない。頭痛になったり、人を遠ざけたり。
断る時はノーときっぱり言うこと。
曖昧にせず、流されず、自分が嫌という気持ちに従う。
インド最終日、さちこから優しく接したインド人が、
今度は逆に優しくなったときに、
彼女の話を聞いてわかったつもりでも、
あぁ、今まで本当には認めていなかったと思った。
人の内側に入りたいのに、
待ってばかりだった自分を思い知らされた。
彼女に出会えたのは、インドに来たから。
誰が、彼女をわたしに引き合わせてくれたんだろう、
と不思議に思うほど、
彼女とインドで出会うことが必然だった。
インドに来て、さちこがずっとひどい顔をしていたから、
そして彼女はそういう性格だから、
たくさん自分の内側にあるものを注いでくれた。
まずは、慣れることが大事だと彼女は言った。
急に見極めることは難しいと。
心を開くこと、開いて傷ついたり間違ったり、
慣れて、インドへの気持ちが開けるようになったら、
また来よう。
バイバイ、インド!!
出来過ぎだと思うけれど、
自分を省みるきっかけをくれる、
小さな出来事が起こった。
自分が相手のために行動したら、次は相手が自分に優しくしてくれた。
その相手が、嫌いだったはずのインド人だった。
たったそれだけ。
だけど、相手が変わったことが、嬉しかった。
インドに来て、自分から
人に何かを与えたことがあっただろうか。
笑顔での挨拶、握手を求めること、
笑わせるようなジョーク。
インド以外では、考えずともやっていたことを。
インドが嫌いだと、来る前から思っていた。
きっかけを細かく言うと、
インドで起こった、女性への暴力事件がきっかけだった。
その背景にある、ヒンドゥー教の宗教観と、
カースト制から生まれた人種差別の風潮。
実際の人々を知らずして、インドに対して
「理解できない」
と判断をしていた。
そして今回のインド滞在は、
「インドは理解できない、ということの確認」
ばかりをしていた。
わたしたちが接するのは、他の国と同じく
宿やレストラン、土産物屋やドライバーという
接客業の人ばかりである。
他の国と比べて敢えて違いをあげるとすれば、
お金、お金とうるさい、ということ。
こちらへ近寄り話しかける第一声が
「それいくらで買ったの?」
だったり、
「お金をくれ、ペンをくれ」
だったりする。
それは本当に嫌だった。
インド人につけ込まれることを拒み、
全然、心を開かずにいた。
それが人を寄せ付けない原因であるのは、
初日から分かっていた。
分かっているようで実際に芯から理解できたのは、
滞在して10日を過ぎる頃だった。
わたしと真逆に、インドが好きで、
インドだけでなく、人が大好きな女性に出会った。
彼女は、人に与えることが好きだった。
与えると言っても、物乞いにお金をあげることではない。
自分に出来ることがあれば自分から動き、
人が近づけば手を伸ばし、握手をし、名前を聞く。
そして子供の物売りには「これを買う代わりに学校へ行きなさい」
と言うのだ。
数日、行動を共にし、
彼女の行動力、包容力に驚いた。
例えば欧米人旅行者がただ大勢で集まっているような中にも、
タバコやアルコール好きな、距離を置きたいような旅人もいる。
その人に対しても、決して線を引かず、輪に入れる。
誰かの生き方を批判するような行動は一切しない。
ただ、見極める。見極めて、
距離をきちんと保って接する。
一度、彼女が手持ちの糸でミサンガを編んでいるのを見た。
知り合ったインドの女性へのプレゼントだと思われた。
そしてわたしたちにとってのインド最終日前日、
彼女は同じように糸を選んで、
さよならの時に、出来上がったそれを左手に結んでくれた。
彼女の、与える姿勢はなんだろう。
見返りを求めていないように見えるが、
彼女が誰かに心を開くと、その誰かが
みるみる、態度を柔らかくする。
ツーリストへの接し方と思えないくらい
近づいて来た人が親切になる。
例えばお金にうるさいリクシャドライバーが、
家の庭で取れたパパイヤを、宿まで届けてくれたりする。
警察官だった彼女から見習うべきことは、
人を見極めるすべかと思って、尋ねた。
スペイン人の彼女と英語でやり取りをするので、
100%彼女が言うことを理解できてはいない。
「目を見ること。構えすぎないこと。断る時はノーときっぱり言うこと。」
どこかで聞いたことがあるようなことなのに、
わたしは未だに実行できていない。
そして、彼女が言うと、それがどれだけ大変なことで、
重要なことか、言葉が自分の中に入った後で
熱を持つような、実感があった。
目を見ること。
先入観や思い込みでなく、相手をちゃんと見て、判断すること。
構えすぎないこと。
肩に力が入るとろくなことがない。頭痛になったり、人を遠ざけたり。
断る時はノーときっぱり言うこと。
曖昧にせず、流されず、自分が嫌という気持ちに従う。
インド最終日、さちこから優しく接したインド人が、
今度は逆に優しくなったときに、
彼女の話を聞いてわかったつもりでも、
あぁ、今まで本当には認めていなかったと思った。
人の内側に入りたいのに、
待ってばかりだった自分を思い知らされた。
彼女に出会えたのは、インドに来たから。
誰が、彼女をわたしに引き合わせてくれたんだろう、
と不思議に思うほど、
彼女とインドで出会うことが必然だった。
インドに来て、さちこがずっとひどい顔をしていたから、
そして彼女はそういう性格だから、
たくさん自分の内側にあるものを注いでくれた。
まずは、慣れることが大事だと彼女は言った。
急に見極めることは難しいと。
心を開くこと、開いて傷ついたり間違ったり、
慣れて、インドへの気持ちが開けるようになったら、
また来よう。
バイバイ、インド!!
- 2013.07.08 Monday
- 9 インド
- 14:41
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- by SACHI