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【大量虐殺地、キリングフィールドへ】- カンボジア

2013.03.20 Wednesday  
 すっかり体調もよくなって今朝はキリングフィールド見学へ行ってきましたさちこですこんにちはー!

昨日のブログの出だし「今さちこは寝ています」は、ちょっとぞっとするくらい
掴みがうまいですね、てっきり嫁に何かあったのかと後から読んで心配になりました。
発熱した夜から昨日昼までの、けんちの看護は甲斐甲斐しく、
日頃忘れがちなけんちへの感謝を思い起こさせられました。思えば日本という国で、
多少家が貧乏よりだったとしても、お腹を空かせることなく生きて来られたのも、
家族やご先祖様あってのことでした。
存在が普通過ぎて忘れがちな周囲への感謝を忘れてはならないのですね。
ということでキリングフィールドの事を書きます。
写真や文章で気分を害する人もいるでしょうが、事実です。
30数年前の、全人口の3人に1人が殺されたという、ポルポト政権下で実際に起こったことです。
*******************************
 『キリングフィールド』と呼ばれる
ポルポト政権下の大量虐殺地は、
カンボジア全土で300余りある。

その中の一つ、大きな慰霊碑が建つ
『チュンエク大量虐殺センター』
を訪れた。

市内から14kmほど離れているので、
トゥクトゥクを交渉して往復10$で行ってもらう。

 入場料は5$(含む日本語音声ガイド)。
IMG_5387.JPG
音声ガイドで示された場所を巡りながら、説明を聞く。
わたしを含めて、訪れた人は皆、ガイドの穏やかな
声に耳を傾けてゆっくりと歩いたり立ち止まったり。

ガイドは語る。
ー当時の全人口800万人のうちの300万人が殺されました。
日本人の4人に1人が殺されたと想像してみてください。
しかもそれは、同胞の手によって
殺されたのですー

番号通りに歩くと、入り口を過ぎるとトラック停留所跡地が現れる。
他の多くの標識と同じく、そこには既に建物はない。
IMG_5411.JPG
クメールルージュがベトナム軍の進軍により駆逐された後、
建物は即座に壊されたからだそうだ。
かつて建物があった場所の前にただ立って、静かな案内を聞く。

ー「新しく住む場所へ行く」と告げられて、
本当は処刑場であるここへ人々は連れて来られました。
目には目隠しをされ、手も後ろ手に縛られ、
輸送中に逃げ出す事ができないようにされていましたー
IMG_5410.JPG
続いても建物はないが、拘置所跡地と案内が言う。
ーほとんどは着いた晩に処刑されますが、
時には次の日の晩に処刑されるまで、
粗末な木の建物に拘留されました。
処刑の対象は、ポルポトの原始共産主義に抗う
可能性がある知識人や、当時のアメリカの爆撃から
逃れる為に農村から都市部へ移民した者、
ポルポト派に反対するものですー

すぐそばには、刑執行人の事務所があったという。
処刑漏れを防ぐため、処刑リストと厳しく照合したそうだ。
処刑される人自らが、自分の処刑リストを
チェックすることもあったという。

中国人の葬儀用建屋があった場所では、
処刑時の断末魔をかき消すべく流される
スピーカーの電力を生み出す発電機が動いていたそうだ。

説明は続く。
食物に混ぜ中毒を起こさせるDDTという薬品の話。
臭いに異変があっても、酷い飢餓状態にあると、
人はそれを食べてしまう
んだそうだ。
さらに同じ薬品が、死体の消臭にも使われれていたらしい。

DDTを保管していた化学薬品保管室跡を過ぎると、椰子の木がある。
IMG_5388.jpg
この椰子の木の、のこぎりの歯のような部分は、
鶏の喉を掻き切るのに使われるそうだが、
当時は、人用として使われていたという。
お金が十分でなく、処刑に農耕具や木を利用したというが、
身近すぎて痛みが生々しい。

そして450体もの遺体が見つかった大量埋葬地へ歩く。 
発見当時、死体にかぶせた土は、
死体から発生するガスのせいで更に盛り上がり、
その山から立ち上る匂いは、酷い臭いだったという。
IMG_5413.JPG
殺戮に使う武器保管室跡地もあった。
弾が高価なため、処刑には銃を用いず、
身の回りの道具で処刑をしていたということで、
隣接する博物館には農耕具が展示してあった。
鍬で、首を殴るように何度も叩いて、死に至らしめた
証言を聞く。

ありがたい食べ物を生み出すべき道具で、
赤ちゃんを抱くのと同じ人々の手で、
未来ある若い兵士に、
同胞であるカンボジア人を殺させたのだ。

外国人ジャーナリストの人骨も見つかったという
中国人墓地を過ぎると、
ベンチが並ぶ静かな場所へ誘導される。

ロンガンの果樹園横では、
1日2度のお粥だけで12時間労働を強いられた
当時の過酷さを、ガイドが語る。

見学をするわたしは水を持っていたけれど、
いつものように30度を超える暑い日だったけれど、
ここにいると水を飲むのも憚られた。
IMG_5412.JPG
湖畔を過ぎたところには、蛇が出ると誰かが教えてくれた。
サソリの死体を見つけながら、ベンチに座って生存者の証言を聞く。

生存者の証言の中には、目撃証言の他、
自分が遭ったレイプ体験を語ってくれているものもあった。
わたしはレイプ犯罪が大嫌いなので、
やはり反応してしまった。
ー10数人から気を失うまで陵辱され、野原で目が覚めた。
裸で、身も心も傷つき、
まるで自分が獣になってしまったかのようだった。
私の方が、変になってしまったかと思った。
周りから身を隠したかったー

被害者の負う傷の痛みを想像する力がない奴らほど、
人に大きい傷を残す。

体験談を聞き終えて、池の横を歩いて戻る。
今も骨が沈んでいる池には、青空が写っていた。
IMG_5397.JPG
アンカー内で異を唱えたり脱走を試みた者は、
兵士であっても殺されたそうだ。
見せしめの為か、首を切られて。

首のない166体が埋められていた大量埋葬地の先に、
ガラス箱があった。

中には明らかに子供のものを含めた
犠牲者の衣類が、上には歯や骨が置いてある。

今も、土からは衣類の残骸や骨、歯が出てくるのだという。
IMG_5399.JPG
手を合わせてそこを進む。

カンボジアへ来て思うが、日本なら衣類や骨を現地へ
飾る事はしないだろう。供養し、写真だけ残すのではないだろうか。

小さな半ズボンは、容易に
それを履く年齢の子供を想像させる。

次のポイントはキリングツリーと呼ばれる大量埋葬地。
主に若い女性が埋葬されていたそうだ。

殺される前に衣類を脱ぐことを強いられた女性達。

人前で全裸にさせられることは、
慎み深いカンボジア女性にとってそれだけでも
恥辱だったが、時にそれ以上の恥辱を被ることもあったという。

乳児は、母親の目の前で殺された。
ガイドは大きな木を見るように促す。
発見当時、脳みそや血痕がついていたそうだ。
カラフルな飾りはミサンガ。見学者の安息の祈りが込められているのだろう。

子供の頭を、この木に打ち付けて、
殺したのだという。

一家を根絶やしにして、報復をさせないために。

死刑執行の命令を下しこの処刑場へ送った
トゥールスレーン刑務所の所長は、
裁判にかけられた際、なかなか罪を認めなかったのだけれど、
遂に1万人以上の人々の死は己に責任があると認め、
この木の前で泣いたという。

木の横に、カンボジアでは『霊の棲家』とされる
木で作った鳥の木箱のようなものがあった。
霊に安息を、カンボジアの皆が祈っている。
IMG_5403.JPG
敷地の中でひときわ大きい菩提樹は、スピーカーを設置されていたそうだ。
音楽には二通りの意味がある。

昼間の音楽は人々の強制労働を鼓舞すべく、
夜は断末魔の叫びを消すべく。

この音楽と、日中聞こえていただろう音を組み合わせて
再現したものが、ガイド音声から流れて来た。

耳に入るのは、落ち着かず不安感を煽る音だった。
ーここで、昼間の様子を再現してみます。
音楽と、発電機の音が交じり合った様子は、
処刑される人々が最後に聞いた「音」かもしれません。

入り口の門からすぐに見える慰霊塔へ、場内を一周してまた戻ってくる。

慰霊塔へ入る前に、上のすべてのポイントに合わせてガイドの話を聞き、
霊へ敬意を払って慰霊塔へ入ってほしいとの考えだという。
IMG_5409.jpg
靴を脱ぎ帽子を外して入った慰霊塔には、
ここで見つかった2万体の人骨が、
ガラスケースに保管されている。
IMG_5407.JPG
生きている者同士であっても、相手の感情を推し量ることは難しい。
まして、死んでいる骨から、
何かを必ず感じなくてはならないわけではない。

だが、この地を訪れ、これを見た人が感じる感情が
わたしたちに共通のものである限り、
同じ歴史は繰り返させてはならない。

カンボジアで亡くなった方々の魂に安息の地がありますように。





コメント
私らが生まれた時代、カンボジアは、大量虐殺の狂気のなかにいたんだね。
ポルポト政権という言葉は聞いたことはあっても、私も詳しいことは知らなかったよ。
丁寧な記事で、ありがたいです。ありがとう。
とりあえず、Wikipediaでキリング・フィールド、クメール・ルージュ、ポルポトなど検索して読んでみました。今度映画も観てみようと思います。カンボジアやベトナムの悲劇は、まだたった30数年前。学んでいくべきだし忘れたらあかんよね。
現地ではもっと生々しく感じただろね。
  • かよ
  • 2013/03/21 1:29 PM
かよ。たくさんコメントありがと。
うちも、名前しか知らんかったし、やっぱり遠い国の話だった。こっちに来てから、同い年の人を見ては、ギリギリで産まれた世代か、とか、年寄り(あんまおらんけど。。。)見ては、どっち派だったのか、とか思う。今生きている同世代以上は、経験者ってことやけん、その経験の凄まじさに頭があがらんよ。
他の国でも知らんことだらけ。またこういうの書きながら旅してくよ。
  • さちこ
  • 2013/03/23 12:34 AM
BS東南アジアspの番組に出会い、35年前のカンボジアの旅行を思い起こし、強烈なキリングフイール頭骸骨の塔を再びこの目にし、あの青青とした芝生を足が震えながら歩いた、忘れる事のできない映像を拝むことが出来番組に感謝いたします。
  • 田村美枝子
  • 2015/12/13 6:04 PM
こんにちは、ブログ訪問ありがとうございます。
カンボジアのキリング・フィールドを訪れるとみな同じことをきっと願うはずですよね。
この平和な日本で暮らしていても、自分に沸き起こる感情をときどき取り出し、
二度と間違いを起こさないよう努めていきたいものです。
コメントありがとうございました。
  • さちこ→田村美枝子さん
  • 2015/12/17 12:54 PM
はじめまして。

昨日、カンボジアから戻ってきたばかりのものです。ポルポトの大虐殺は私が生まれる前の話で、全く知識はありませんでした。現地ガイドさんがキリング・フィールドのことを少し話してくれましたが、あまりにも現実離れしすぎていて実感が湧かず。

日中、暑い中でもサングラスすらかけないガイドさんは「現地の人は今でも昔の名残でメガネやサングラスを好みません。知識人と思われて虐殺された人々がいたので、今でも避けるんです」と言っていました。

物乞いが多く、ぼったくりも多く、観光客から金を取ろうと必死なカンボジア人を見て、なんとも複雑な思いを抱き、カンボジアの歴史をもっと知りたいと思って調べて居たらこのブログに到着しました。

私はマレーシア在住で、現地の友人らにカンボジア旅行のことを話すと反応は様々。いたたまれなくて見て居られないからカンボジアやベトナムには行かない、という人。鉄仮面のごとく無表情を貫いてぼったくり被害に遭わないように徹底する、という人。物売りの子供を見るとかわいそうになってしまい、お金をばらまいてしまうという人。過去の歴史と今の現実を受け止め、淡々としている人。本当に様々でした。

私はまだ混乱のさなかで、とにかく胸が痛く、なのに何故か強烈に「もう一度いって、現実を見なくては」という使命感にもちかい思いが湧いてきました。

もう30年ほど前からでしょうか。祖父が毎年のようにカンボジアに通っており、現地の子供を里子にもらおうとしていたことがありました。それほどカンボジアに魅せられていたことを不思議に思って居ましたが、今ならその理由がわかるような気がします。

素晴らしい記事をありがとうございました。
  • machiko
  • 2016/11/01 11:26 PM
すっかり更新が滞ったブログなのに、読んで頂きありがとうございました。
ちょうど一昨日、クメール・ルージュのことをぼんやりと思い出していたところだったので、久しぶりにこのブログを開いた次第です。ちょうど同記事にコメントがあり、本当に驚いています。
カンボジアへ行ってこられたのですね、有名な遺跡が多く残る地で働く現地カンボジアの人の中には、たしかに物乞いのようなことをする人もいた記憶があります。
私は、回った町がそうだったせいか、人がみんな人懐っこいな、やっぱりみんな若いな、という印象のほうが強いです。
過去になにがあったのか興味を持つきっかけが、テレビ番組だったりネットニュースだったりと様々ですが、
machikoさんのように現地の空気を肌で感じた方のほうが少数だと思います。
お祖父様の感じていたものは、machikoさんが帰国してすぐ感じた使命感に類似したものだったのかもしれないですね。
キリング・フィールドの見学の感想の一記事ではありますが、今のお気持ちを大切に、感じるまま調べたいことをとことん突き詰めるのはすごく良いことだと思います!

わたしもよい刺激になりました。本当に偶然に驚きました。ありがとうございました。
  • さちこ→machikoさん
  • 2016/11/04 2:57 PM
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